グストイタリア野菜紀行

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episodio25

昔の匂いのするローマ食堂{ソーラ・マルゲリータ}100年の老舗が伝える味

 

朝9時。しんと静まり返った小さな店の中でトントンとリズミカルな包丁の音が響く。普通のトラットリアならまだだれも出勤していないこの時間、{ソーラ・マルゲリータ}では1日のうちでももっとも忙しい束の間である。店の名物の手打ちフェットチーネを何十人分も作るのは、オーナーの奥さんルチアさん。毎朝8時には出勤する。ここはローマのゲットー地区(ユダヤ人街)にある老舗{ソーラ・マルゲリータ}。地元の人なら知らない人はいない行列のできる店。創業は戦前の1927年のこと。

 

第二次世界大戦中にはこの地域のたくさんのイタリア人ファミリーがユダヤ人をかくまっていたまさに歴史的地区で、今でもこのあたりをぶらぶら歩いていると建物のあちこちに隠れ部屋をみつけることができる。建物と建物のあいだや、物干しの下なんかに小さな小さな部屋が後から付け加えたようにくっついているのが見える場所がちらほらある。戦時中のイタリアはヨーロッパのなかでユダヤ人をもっとも多くかくまった国だったそうで、その中心地がこのローマのゲットー地区だ。そのど真ん中に真っ赤な簾をたらしてちょこんとあるのが{ソーラ・マルゲリータ}。もともとは1部屋だけのワインだけを飲ませるオステリア(昔は酒場のことをオステリアとよんだ)だったのが戦後の活気で人がたくさん出入りするようになり2間に広げた。

 

それでもトラットリアというよりだれかの家の居間で食事をしているような狭さで、日本でいうと何とか食堂みたいなそんな庶民的な店である。厨房は2人の人間が立ったらもういっぱいのスペースになるので、こうして客が来ない朝の時間に木のテーブルを広げてパスタを勢いよく打ってしまう。

 

新鮮な卵がたっぷりと練りこまれた黄色い生のフェットチーネは乾麺より早く茹で上がるため、戦後のあわただしい時代からの人気メニューなんだそう。料理の発祥や伝統ほど、どの国でもその時代の背景が濃厚に反映されるものはない。名物のフェットチーネに絡めるソースは長時間牛テールを煮込んだトマトソースやカーチョ・ぺぺと呼ばれるチーズと胡椒をかけたもの、もしくはシンプルなトマトソースの中から選べる。むっちりとした噛み応えのある麺にこってりとしたソースがかかるのでかなり満腹になる。まさに労働者の料理という感じ。

 

100年近い歴史のある食堂の定番メニューは、ゲットー地区(ユダヤ人街)のお母さんと呼ばれていた故マルゲリータさんのレシピ。{ソーラ・マルゲリータ}=マルゲリータおばさん。店名の由来の人である。季節の食材をつかった日替わりメニューは典型的なローマの家庭料理ばかり。地域的にユダヤ料理も地元料理としてメニューに並んでいるのはローマでもこの地区だけである。

 

野菜料理の名物は、いわしとインディーヴィアという菜っ葉をオーブンで重ね焼きにしたものや、ズッキーネの花にアンチョビとモッツァレラを詰めてフライにしたもの、ユダヤ料理のアーティチョークのフライがある。ユダヤ料理といえばズッキーネを薄切りにし、天日で乾燥させたものにオリーブオイルとヴィネガー、塩コショウににんにくをかけた‘コンチャ・ディ・ズッキーナ‘という素朴な1品も人気メニュー。お酢とにんにくがかなりきいていて、ちょっと中華っぽい味を連想させる。

 

「この街の料理というのは余りものを材料にして作ったものばかりなんですよ。」とルチアさん。「トリッパのトマトソース煮込みや羊の腸の煮込み、脳みそのフライなど内臓料理は知られていますが、野菜料理でも同じこと。たとえばプンタレッレはチコリの一種の野菜の茎で苦味があるので他地方であれば捨てられる部分なんですが、ローマではこれをアンチョビとにんにく、オリーブオイルでしっかりあえて食べるんです。」ワインリストはなくて、テーブルワインがどかんとカラフででてくるのも家っぽくていい。

 

画家であもあるオーナーのマウロさんのマジックペンでの手書き日替わりメニューは、持って帰って額に入れて飾れるほど味わいがある。お母さんが料理をして絵描きのお父さんが経営する。息子と数人のスタッフがホールをまかない、家族のチームワークがしっかり見え、心あたたまる店なのだ。

 

毎年観光客の数が増加しているローマでは、いまや外国人客をどんどん入れ込むニセローマ家庭料理の店みたいなのが本当に増えている。そういう店のキッチンは、のぞいてみるとイタリア人は一人もいなかったりして出稼ぎのエジプト人労働者なんんかがせっせとカルボナーラをいためていたりする。{ソーラ・マルゲリータ}のような家族経営の昔ながらのお店はどんどん減る一方で、お母さんの味がするなつかしくやさしい家庭料理はなかなか首都の街中では食べにくくなっているのが現状である。

 

以前このお店に食べにきたとき、前の広場に黒光りのする公用車が止まっていた。車の前にはいかがわしいボディーガードも強面で立っているので何事かと思うと、ある有名な汚職政治家が一人で食べに来ていて狭い食堂の中のその場違いな空気に驚いた。その話を息子のイヴァンさんにすると、イタリアの元大統領や外交官なんかも常連なんだそうで、できるだけ地味な格好でひっそり食べにくるということだった。こんな庶民的なお店にプライベートで食べにくる政治家たち。なつかしい匂いのする食堂は、万人を共通して魅了するようである。

 

店舗データ:
SORA MARGHERITA
Piazza delle Cinque Scole 30 Roma
Tel 066874216

ヒサタニ ミカ(野菜紀行レポーター)

京都生まれ京都育ち。
ローマ在住16年。
来伊後、サントリーグループのワイン輸入商社のイタリア駐在員事務所マネージャーを経て、現在は輸入業者のコンサルタント、ワインと食のジャーナリスト、 雑誌の取材コーディネーターとしてイタリア全国に広がる生産者や食に携わるイヴェントを巡る。最近はイタリアでのワインコンクールの審査員も務め、またお 茶や懐石料理のセミナーをイタリアで開催、日本の食をイタリアに紹介する仕事も展開。料理専門媒体にイタリア情報を随筆中。

AISイタリアソムリエ協会正規コースソムリエ。
ラッツィオ州公認ソムリエ。

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